【正義が洪水のように】
アモス書5章21-27節         

 聖書に登場する預言者たちは、この世の現実から目を背けることなく、現実を見た上で神の言葉を語る。アモスという預言者は前750年頃、南ユダ王国で農牧を生業としていた。神はアモスに南ユダ王国ではなく、北イスラエル王国に赴き神の言葉を語るように命じる。

 いくら経済が発展し、国が潤っても貧しい人々を蔑ろにした国は神の公平と正義に生きてはいない。ここで語られる「正義が洪水のように」とはそのような搾取と抑圧にある貧しい民衆(小作農民)を蔑ろにし、祭儀を行い、宗教的な生活をしている支配階級に属する者に対して、あなたたちは神の「公平」・「正義」に生きてはいないと語る。

 今日は教団部落解放センターの「式文」で礼拝を献げている。また礼拝後、1時30分からは「石川一雄さん、早智子さんを励ます会」が行われる。昨夜、あなたと私の「狭山」カレンダーに記されている文言を見ていた。弁護団は裁判所に対して、再審に向けて新証拠を提出している。わたしたちが「狭山」市民の会などで、石川一雄さん、早智子さんから三者協議の報告、弁護団の報告を聞く限り、石川さんは「無実だ!」と確信している。義務教育も十分に受けることが出来ず、被差別部落出身であるという理由で、石川一雄さんは犯人にでっち上げられ、当時の石川さんは「字が書けない者は脅迫状を書くことが出来ない。」と国語学者 大野晋さんが彼の「無実」を訴えても、鴨居の上にあったとされている万年筆が、警察のでっち上げを裏付けているにもかかわらず、裁判官は「再審」の扉を開こうとはしない。石川一雄さんの手首には逮捕されてから、今日至るまで、54年間「見えない手錠」がかかったままである。

 アモスが活動した時代は、一見すると国が繁栄した時代である。賄賂をもらった裁判官は、賄賂を渡した被告に対して、手心を加え、貧しい小作農民たちは、借金をすればすべてを奪われ、奴隷として生きるしかなかった。

「格差社会」は、一部の人に富が集中することによって産み出された社会である。アメリカの99%が「貧者」で、1%の金持に富が集中し続けている。これがアメリカの現実で、日本社会もこれに追従し続けている。相対的貧困率では子どもたちの4人に一人が、貧困状態にあることが統計で明らかにされた。

 今なお、様々な差別に苦しんでいる人たちがいる。教団は1975年「部落差別」をはじめ様々な差別に対して、取り組みを開始した。7月第二主日を「部落解放祈りの日」として定めた。今尚、至る所で差別が行われそれに苦しんでいるひとたちがいる。先日「東京同宗連」の総会が行われた。新宿コミュニティー教会牧師の中村吉基さんの話を聞いた。彼は同性愛をカミングアウトしている牧師である。LGBTの当事者たちが今、自分たちの差別に対してどのように立ち向かっているのか、わかりやすく話された。その中でアメリカのあるテレビ番組の映像を通して、アメリカのLGBTの現状を語られた。

 アモスは預言者として、権力者たちと闘った。預言者は神の公平と正義を語る者である。「おかしいことはおかしい」と語る預言者だけが、神の前に預言者として立たされ、その役割の一翼を担うことが出来る。権力に阿ることなく、主が示された道を進み、イエスに倣う者として、心を合わせて、共に「水平社宣言」を唱え、解放を祈る者として歩みたい。