【主の復活 ハレルヤ】
イースターメッセージ  ルカによる福音書24章13~27節

 イエス様はどこにおられますか? ここに F・アイヘンバーグさんの絵があります。イエス様は、サービスを受けねばならない側に、おられる事が描かれています。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである』(マタイ25章40節)イエス様が「十字架に架けられて死んでしまった」事が悲しくて、悲しくてどうしようもない女の人たちがイエス様のお墓にやって来ました。名前は、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリアさんです。マルコ福音書ではマグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメさんたちです。大きな石で封印されたイエス様のお墓の大きな石が動かされていました。二人の天使はいいました「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」イエス様のお弟子さんたちは、イエス様から三回もお弟子さんたちに言われていました。12人のお弟子さんだけではなかったことが、今読んだ聖書でもわかります。

 こんな言葉が書いてありました。「しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。」(ルカ24章16節)どうして分からなかったのでしょう。ヒントは今見てもらった絵にあります。イエス様は、困っている人たちの側におられるのです。食べるものがなくて、食べ物をもらう側にイエス様がおられます。そのことが信仰の目が曇っていたお弟子さんたちには見えません。イエス様の復活を信じるとは、十字架で死なれたイエス様がわたしたちの罪を赦して下さり、今でも苦しむ人々と共にイエス様がおられ、どんなことがあっても「大丈夫だよ!」と言われたイエス様を信じることです。

 今日これから「洗礼式」・「堅信式」をお二人の方が受けられます。新しい仲間が加えられます。私たちはその証人となります。神さまはわたしたちにも「大丈夫だよ!」と声をかけて下さいます。死んだ人が甦った。復活した。そのことは私たちの考えをはるかに越えた「出来事」です。でも、イエス様が復活してお弟子さんたちの所に現れなければ、教会は誕生しませんでした。イエス様が予め約束されたとおり復活されたからこそ、教会が生まれ、私たちは今、この礼拝に招かれているのです。

 二人のお弟子さんたちは信仰の目が曇っていたのでイエス様が分かりませんでした。それは死者がよみがえるとは考えられなかったこと、そしてイエス様が何処におられるのかが、分からなかったからでした。わたしたちは朗読「寸劇」でイエス様の復活の「出来事」を知りました。イエス様の復活、イースターを心からお祝いするならば、「どんなときでも大丈夫だよ!」とイエス様はわたしたちに声をかけてくれます。「主の復活 ハレルヤ」と、心から讃美歌333番を歌いましょう。この讃美歌はタンザニアの讃美歌です。ドイツから伝えられた旋律ですが、それがタンザニアで歌われるようになり、やがて民謡のような親しみのある歌として、結婚式などで歌われました。タンザニアの人々は踊りながら、全身でこの歌を歌いました。その曲に歌詞をつけたのが、キアマニアと言うタンザニアの牧師さんです。孤児として育ち、その中でイエス様を知り、神さまを讃美する人になりました。わたしたちも「主の復活 ハレルヤ!」と心から讃美しましょう。