【ある男の物語】
ルカによる福音書19章1~10節

 ザアカイの事をルカはこのように紹介する。徴税人の頭で、金持ちであった。ルカは「金持ちの議員」の箇所で、「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(18・25)どうしてザアカイが金持ちになったのか、徴税人の頭という事にヒントがある。当時民衆は「重税」に苦しんでいた。容赦ない税をローマに代わって取り立てていたのが「徴税人」で、彼はその頭である。

 イエスを見るために突飛とも思える行動に出る。背が低かったザアカイは木に上る。いちじく桑は、建築用の木材で、高さは10~13㍍である。そしてその場所でイエスを見ようとした。イエスはザアカイが登った木を見上げると彼に向かって「ザアカイ急いで、降りてきなさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」これは「泊まらねばならない」と言う意味である。どこでイエスはこの人の存在と名前をお知りになったのか、聖書には何も書かれてはいない。感動したザアカイは律法に従ってこのようにイエスに約束する。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人たちに施します。」不正に対しては当時20%の上乗せはしたが、4倍という数字は彼の償いの覚悟がうかがわれる。彼はイエスに出会い、新しい人生の道を歩み出す。しかし、当時の宗教的指導者は憤激する。イエスは「ザアカイ」と言う名前を呼ばれた。彼は認められた。彼の存在が認められた。

 J・H・コーンは『十字架とリンチの木』を書いた。この本は「奇妙な果実」で語られている、白人による私刑が基になっている。「南部の木に、奇妙な果実がぶらさがっている。/ 葉にも根にも血潮がしたたり、/黒いからだはそよ風に揺られ、/奇妙な果実はポプラの木に吊される。/はなやかな南部の田園風景、ふくれた両眼、ゆがんだ唇、/マグノリアの甘い香りは/まもなく肉の焦げるにおいに変わる。/カラスがついばみ、雨が打ち、/風に朽ち、/太陽に腐り、/木から落ちるこの果実。奇妙なひどい果実」

 私たちは今、黒人霊歌「あなたもそこにいたのか」を歌った。この歌が公民権運動を引き起こすマグマとなり、虐げられた人々の「ラ・マルセイエーズ」となったと、川端純四郎はこのように書いた。私が「木」にかけられた時、あなたはそこにいたのか、と問うています。「木」にかけられているのは、「主イエス」であると同時に「自分」なのです。イエスの死を自分も死ぬ、そこにしか救いはない、黒人奴隷たちはそう思ったのでしょう。それなのに、そのイエスの死を、私は見捨てて逃げた。その罪の深さ。イエスを見捨てて逃げる自分、イエスと共に「木」にかけられた自分、それだからこそ、主イエスの復活は、私の罪の赦し。黒人霊歌は、現実逃避の歌ではなく、現実に対する抗議の歌、はっきりと口にすることを許されない抗議の歌、白人たちに聞かれてはならない抗議の歌、だからこそ、黒人だけの礼拝用の小屋で、心のたけをそそいで歌われた歌なのではないでしょうか。同じような歌を日本人に対して歌った、差別された日本の人、アイヌの人、朝鮮の人、中国の人……その人たちとの和解を祈らずには、この歌を歌うことは出来ません。イエスはザアカイの名前を呼ばれた。イエスは今も、様々な重荷を負う人たち一人一人を覚えておられる。そして私たちを覚えておられる。十字架のイエスは共におられる。

 そして主は復活された。