【招かれる食卓】
ルカによる福音書22章1~6節

                 世界宣教の日、世界聖餐日                 
 1946年、教会は過去に犯した罪過を真摯に受け止め、エキュメニカル(カトリック・プロテスタント・正教の一致)を願い、「世界聖餐日」・「世界宣教の日」を定め、聖餐を通して一致することを願い、10月の最初の主日をそのように定めた。

 ここに登場する人物の名はイスカリオテのユダである。イエスを裏切った弟子として福音書はユダの存在を描いている。ルカだけが、その理由として「サタン」(神に敵対する者)がユダの中に入ったと記されている。サタンは天使の中で堕落した者として捉えられてきた。なぜ、天使が堕落したのか、昔の人々「教父」は考えた。人間へのジェラシー、神への傲慢。被造物であるわたしたちとは違い、サタンは大いなる力を持っている。あの「失楽園」をお膳立てしたのもサタンの仕業であった。創世記3章の蛇の誘惑。又サタンは義人ヨブを苦しめる。サタンは誰にでも入る。ルカはサタンはイエスの所にも入ろうとしたことを「荒野の誘惑」で示そうとした。4章13節「時が来るまでイエスを離れた。」誘惑の記事をマルコは簡単に記す。マタイとルカでは順番が違っているが、「誘惑」に打ち勝った結果、イエスは神の国を宣べ伝える者として歩まれる。そのサタンが「イスカリオテのユダ」の中に入ったと記している。ユダの中にサタンが入ったので、ユダはイエスを裏切った悪名高き弟子として後世に語り継がれていく。ここでイエスの不当逮捕は間近であると福音書記者たちは語る。そしてルカはマルコとは違う筆でイエスの十字架への道を語っている。

 今日わたしは、宣教題を「招かれる食卓」とした。けれどもそのことは未だここには記されてはいない。イエスは過ぎ越の祭りの夜、最後の晩餐をした。その時に誰がいたのかと言えばそこにユダもいっしょにいた。自分のお気に入りで周りを固める組織は腐敗し、やがてはくずおれて消滅する。自分と意見が合わない者たちを排除するのではなく、受け入れられたのがイエスである。裏切るユダが「主の食卓」にいた。ということをこの「世界聖餐日」のこの時、いっしょに考えたいと思う。

 今、教団はアジア、北アメリカ、南アメリカ、ヨーロッパに宣教師を派遣している。その中で、ブラジルで活動している小井沼 真樹子さんと韓国で活動している長尾有紀さんのリポートを読んだ。彼女らはイエスの福音を語り、伝え、そして証ししている。これから、わたしたちはユダの存在を考えながら、イエスの十字架への道を辿りたい。すべての人は招かれている。

 宗教改革の先駆者ヤン・フスは、教会の礼拝が一部の力ある者たちによっての礼拝であることに疑問を持つ。当時聖餐式で、パンだけしか信徒はあずかることが出来なかった。ゆるされなかった。様々な教会の権威が聖書より優越していることにヤン・フスは異議をとなえる。結果、彼は火刑に処せられる。彼は「おぉ、神聖なる単純よ」と叫び、絶命する。衣類も火にくべられ、遺灰は集められて、近くのライン川に捨てられた。

 「排除」は誰かを傷つける。それは無意識的にと言っても言い。すべての人をイエスは招かれている。このことを心にとめ、共にマラナ・タを歌い、「主の食卓」の招きに応え、そして世界の平和と和解を共に神に祈ろう。