【私のところに来なさい】

               ヨハネによる福音書5章31〜40節
 ヨハネによる福音書5章は、38年間、病苦の中にいた人がイエスさまによって、癒されたという物語からはじまります。
 
 今の日本の平均寿命は、男性が78.5歳、女性が85.5歳ですが、イエスさまが活動されていた時代の平均寿命は、男女とも40歳前後であったといわれています。ですから、38年間も病気で苦しんでいたということは、人生の大半を病苦の中で生きていたということになります。その人が、ベテスダという池にいました。その池には、不思議な力があって、水が動く間にその池に入ると、病気が治ると信じられていました。そのため、障がいを負っている人、病気に苦しむ人が大勢集まっていました。みんな早く自分の病気を治したいと必死の思いで、水が動くとわかると、われさきにと、すぐにその池に飛び込むのでした。
 けれども、38年間病気で苦しむ人を誰も池の中に入れてくれる人はいなかったのです。その人に向かって、イエスさまは「良くなりたいのか」といわれます。するとその人は答えました。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りていくのです。」この人が、いつからこの場所にいたのかはわかりませんが、水が動くとき、必死になってその池に飛び込もうとしても、いつも後になってしまうので、諦めてしまっていたのではないかと考えられます。そんな人に対して、イエスさまは「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」といわれました。すると不思議な事がおきました。38年間も病気に苦しんでいた人が、歩き出したのです。
でも、その事が大問題となりました。それは、その日が安息日だったからです。安息日は、神さまの事だけを考える日、神さまに礼拝を献げる日として大切に守られていました。一部の例外を除いて仕事をすることは固く禁じられていました。イエスさまが、そのきまりを破って、病気の人を癒したことが、安息日に働くことだと、イエスさまに敵対する人たちは考えていました。そして、イエスさまを「律法」を破る破壊者というレッテルを貼るようになっていきました。けれどもイエスさまは、困っている人をそのままにしておくことはなさらなかったのです。
 
 神さまってどんな人? それはイエスさまが行われた業を知れば、わかります。そしてイエスさまがどんな人なのかが、ヨハネ福音書の15章の39節に書かれています。「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しするものだ」と。
 
 今日は、教団の教会行事暦では「教育週間」です。イエスさまは、38年間も病気で苦しんでいた人の病気を癒されました。その日は安息日でしたが、イエスさまにとって病気で苦しんでいる人をそのままにして通り過ぎることは、神さまの御心ではありませんでした。
 イエスさまの教えを一番とするわたしたちは、その事を決して忘れてはなりません。NCC教育部では、そのために平和のきずな献金を呼びかけています。今年は、ルワンダにおける和解プログラム、ネパールの「平和を愛する子どもたちの家」の働き、在日外国人学校の働き、アイヌ奨学金、平和教育推進プログラムのために用いられます。
一人一人を大切になさるイエスさまは、すべての人を招かれています。そしてその人たちが自分のことだけを考えるのではなく、苦しんでいる人、悲しんでいる人の事を考えることが神さまとつながることだといわれています。

Topページヘ