2019年9月
                   当事者感覚を身につけて               
                                  堀切教会牧師 真鍋孝幸
 わたしたちの教会は、10月の第二主日礼拝後に無実を訴え、闘いつづけている石川一雄さん、早智子さんを招いて「石川一雄さんを励ます会」を開催しています。

 この会は、今なお、「見えない手錠」に繋がれている石川一雄さんの無罪を勝ち取るまで続けていきたいと思っています。石川一雄さんは「狭山事件」(1963年5月1日狭山市で女子高生が誘拐され遺体で発見された痛ましい殺人事件)の被告として、不当逮捕され収監され、浦和地裁で死刑、東京高裁では無期懲役の判決を受けました。石川一雄さんのお話を聞く度にこの事件は「冤罪事件」であることを確信しています。その主任弁護人を務めておられる中山武敏さんが書かれた『人間に光あれ』を読んでいます。

 中山武敏さんは、この事件の他に「東京大空襲訴訟」・「重慶大爆撃訴訟」・「植村訴訟」などにも中心となって関わってこられていることをこの本を通して知ることができました。ご自身も石川一雄さん同様に「被差別部落」出身で、文字通り苦学して弁護士となり、社会正義のために働いて来られていることがヒシヒシと伝わるような文体です。

 自らが「被差別部落」の出身であること、マイノリティーの人たちのために弁護士を志した中山武敏さんがなぜ石川一雄さんの弁護団の主任弁護人として、再審を求めて闘い続けてこられていることは、これらの事件の弁護を引き受けてこられたことと無関係ではありません。

 今、隣国「韓国」との関係が最悪で、「嫌韓」から「断韓」を主張する言論人がいる中で、石川一雄さんの主任弁護人は、「狭山事件」だけではなく、様々なマイノリティーの人たちと「連帯」しながら、難しい案件を引き受けてこられていることに勇気づけられました。

 彼は書いています。2010年は、いわゆる「韓国併合」100年でした。日本は「韓国併合条約」を強要し、1910年から1945年8月までの35年間、朝鮮半島を植民地支配しました。<中略>私は西大門刑務所歴史館を見学して、日本軍・日本官憲が過酷な植民地支配に抵抗する朝鮮の人々に対して苛烈な弾圧を加えた事実、それに屈することなく命をかけて立ち向かった朝鮮の人々の存在等を確認し、日本と韓国の歴史、自らの歴史認識を深め、日韓両市民の信頼、連帯を築いてくことの大切さをあらためて痛感しました。

 この文章を読みながら、私自身「東京同宗連」の研修旅行のことを重ね合わせました。痛みは踏んだ者にとっては、「ゴメンナサイ!」といえばそれでおしまいかもわかりませんが、踏まれた者にとっては「ゴメンナサイ!」という謝罪が通り一辺であれば、決して許しがたく、いくら謝られても心の傷は癒えず、ある人たちにとってはトラウマとして残ります。その傷が癒えない限り、謝罪に終わりはないのだと思うのです。

 昨今の報道を見たり聞いたりするたびに思うのは、踏まれた側の痛みを受けとめることの出来ない想像力の欠如です。当事者感覚で想像することを思考停止している実態です。

 沖縄の痛みは米軍の戦闘機の爆音と恐怖、そして基地があることによってもたらされる「性犯罪」を知らねば他人事で済んでしまいます。

 わたしたちは他者の痛みには鈍感で、自分の痛みには敏感です。自分が傷つけられたことは決して忘れないのに、傷つけた事実はなかったことのように振る舞います。

 ある人が一連の報道で、韓国には二つの別々の国家観がある。すなわち、現政権は「朝鮮の統一」を願っていて、野党は日韓関係を中心とした国づくりを願っている。水と油のような考え方の違い、すなわち、二つの韓国がある。というような解説をしていました。

  「嫌韓」から「断韓」を願う人たちは「統一コリアン」には反対の立場なのではないのか、と私は思っています。

  隣国と仲良くしていくこと、そのためには過去の忌まわしい歴史をなかったことには出来ません。歴史から学び、対話の姿勢がなければ関係は益々硬直化して行かざるを得ません。

 一連の偏向報道に踊らされることなく、自分の考えを整理し、判断しなくてはなりません。その整理の資料こそが、出会いです。

 私も中山武敏さんのように様々な出会いを大切にし、当事者感覚を身につけた歩みをキリスト者として、この本を通してあらためて考えることが出来ました。