2019年10月
               おかしいことはおかしいと言える勇気



                                 堀切教会 牧師真鍋孝幸   
裁判報道を聞いて
 「東電刑事裁判」で元幹部三人の無罪報道を聞きながら憤懣やるかたない感情が沸いてきた。

 今回の訴訟で原告団の中の三人の自死(殺)の精神鑑定を行った野田正彰さんの、三人のそれに至るまでのプロセスが書いてある文章を読んだ。

 今も、帰郷出来ない人たちが4万人以上いるという。震災関連死も増え続けている。

 汚染水・汚染土問題は深刻である。未だに根本的な解決策が打ち出されてはいない。

 原発推進派の学者と内部被曝の恐ろしさを主張している医師とのバトルがワイドショーで取り上げられていた。

なぜ隣国のスキャンダルを取り上げるのか
 しかしそれ以外のワイドショーといわれる時間のテレビ番組は隣国韓国のスキャンダルに終始し、日本政府の今回の措置は正しい。という論調が大半を占めている。反韓を煽る「空気」に警鐘をならしているのはジャーナリストの青木 理さん以外には見当たらない。

 韓国の教会は日本政府に対する擁護・支持をしている教会と、戦前の36年間の「植民地支配」を踏まえて、韓国政府の立場を理解しているという。二つの異なった意見が韓国の教会にはある。

主流派でなくとも
 教会は「信仰共同体」・「礼拝共同体」であって、政治的問題には対しては慎重であるべきだというという意見の方が、主流派なのかもしれない。

 旧約聖書に登場する預言者たちは、神の言葉をあずかり、神の言葉を語る使命を命を賭して成し遂げた。

 モーセは神の命令によって、エジプトから奴隷状態にあったイスラエルの民を約束の地「父と蜜の流れる場所」に誘い、その意志はヨシュアに引き継がれ、やがてイスラエル王国が誕生する。しかしソロンモン死後、王国は北・南に別れ、預言者は権力に阿ることなく、神の正義と公平を語り、「偶像崇拝」することは神の御心ではない。

預言者の系譜に属する
 わたしはこの預言者たちの語る言葉と生きざまは正に政治的な発言であり、行動であったと理解している。

 イエスの語る「神の国」の福音は観念ではない。イエスは困窮している人たちの痛みを自分の痛みとして受け止めた。

 10月31日はプロテスタント教会にとっては「宗教改革記念日」として大切にしている。ルッターは権力と一体化したカトリック教会の在り方に対して、聖書学者、修道士として神学的に厳しく問うた。

 ヒットラーに対して抵抗したキリスト者たち、神学者たちは預言者のように生きた。現在の「殉教者」として知られているD・ボンヘッファーもオスカル・ロメロも神のみ言葉、御心に生きる者として、その生を全うした。

解放の神学者たちは、教会の礼拝に来ることに困窮している人たちに対して、眼を向け、その結果、解放の神学が生まれた。

 隣国のスキャンダルを報道するよりも、私たちの社会に公然と行われていることに眼を向けなければならない。神の正義と公平が世界で日本で踏みにじられている。

 今回の東電の問題を考えるとき、「無責任の体系」すなわち誰も責任をとらない体質に対して、「それはおかしい」といえる者でありたいと思う。

 教会が聖書に生きると言うことは、イエスの生き方を学び、預言者たちの系譜に属する者として、み言葉に促されて行動することは、宗教改革の精神を継承することなのだから。