2017年 9月
                     「主人公」は誰なのか

                                           

                                堀切教会牧師 真鍋孝幸
 9月と言う月は8月が「戦争について考える」とするならば差し詰め「老いについて考える」月なのだろう。老いについて考える古今東西の文章の中には、老いを嘆く文章が多くあることに気づく。

 前野良沢等と『解体新書』を訳した杉田玄白は84歳の時「耄耋独語」(おいぼれのひとりごと)と言うユーモラスの中で老いを嘆いている。又同様の文書は古代オリエント文学にも書かれていた。紀元前2世紀ヘレニズム時代に書かれたとされている「コヘレトの言葉」12章にも同様の文章が記されている。

 老いることは失うことである。今までスムーズに出来ていた動作が出来なくなる。記憶力も低下し、人の名前が覚えられなくなり、「顔」は知っているのにとっさに名前が出てこない。物を探しているのに探している物を忘れてしまうことすらある。出来ていたことが出来なくなるほどつらいものはない。

 8月26日の「朝日新聞」に高齢者への高額医療 -現場は模索-という記事が目にとまった。医学が進歩し、カテーテルで心臓手術が行われた。費用は700万円。しかし数ヶ月で亡くなってしまった。

 高齢者に何処まで皆保険を適用するのかが、議論されている。「平均寿命を越えたら超高額な薬は使わないことや、治療内容によっては自己負担割合を引き上げることなどを本気で考えないと、医療が崩壊するかもしれない」と言う医師の言葉が紹介されていた。

 ファーストと言う言葉は、今年の流行語大賞になるのかもしれないが、その危うさをわたしたちは自覚しているのだろうか。新聞・テレビでは地域政党の中に「○○ファースト」というネーミングの政党が誕生したことが紹介されている。

 圧倒的な支持で「小池都政」が誕生した。そして小池率いる「都民ファースト」の新人議員が自民党の議員から議席を奪取した。今や国政に進出する勢いだ。

 けれどもファーストという言葉の主語は誰なのか、みんながファーストの筈がない。毎日の生活に追われ、病気であっても医療費を捻出することが出来ず医師の診療を受けられない人たちがいる。保育園に入園を望んでも入園できない子どもたちと親たちがいる。介護保険で要介護認定が行われても経済的な理由で満足な在宅介護を受けられない人、親やパートナーの介護に悲鳴をあげ、介護施設に入所させたくても入所出来ない人たちがいる。自己負担に耐えられる人たちは、十分な介護を受け、高度な先端医療の恩恵を受けるかもしれないが、そうでない人たちは我慢を強いられ、いのちの値踏みが行われていく。

 3年後のオリンピック・パラリンピックに向けて道路などのインフラが整備され、障がいのある人にも住みやすい街づくりが行われ、会場に近接する地域はバリアフリー化するのだろう。何処までがバリアフリーになるのだろうか…

 ファーストの「主人公」は住民なのか、特定の人なのか、わからない。アメリカのトランプ大統領は「アメリカンファースト」を掲げ、大統領になった。そして分断がはじまった。 同新聞に小池都知事が「関東大震災の朝鮮人犠牲者」に追悼文を送ることを辞めたことが、詳しく掲載されていた。

 神戸にある進学校の採択した「歴史教科書」に対して自民党の県議会議員が「なぜあの教科書を採用したのか」と詰問した言葉が掲載されている。

 歴史を直視することを辞め、「負の歴史」に目を向けることをせず、「関東大震災」時、「在日」朝鮮・中国人の犠牲者がいたこと、「軍隊慰安婦」・「徴用工」の実態を無かったことにするような考え方を持つ人が「ファースト」を唱えるとき、主語は明白となる。

 小池都政がどこに進むのか、わたしたちは注視しなくてはならない。そして「ファースト」の主人公が誰であるのかを問わねばならない。

 老いることが「失うこと」に終始することなく、老いることは「昇華」することであると言う思想があることを踏まえて、わたしたちが受けている「医療」・「介護」についても考えなくてはならない。