2017年6月                 
                 熟議無き「共謀罪」強行採決に思う

                                             
 沖縄返還50年を迎えた。わたしが10代の時、当時の県知事屋良朝苗主席はこの時から知事となった。

 米国高等弁務官によって統治されていた沖縄は、敗戦後27年を経て、返還されたことになる。核抜き本土並み、米軍基地の縮小を信じ、ウチナンチュの人は日本への復帰を喜んだ。しかし現実は彼ら・彼女らの願いとはほど遠い。普天間基地が返還されると喜んだが、その条件は辺野古の新基地建設に他ならなかった。なぜ、沖縄だけが「日米安保」の犠牲にならねばならないのか、僅かな本土からの補助金でこのまま基地を沖縄に負わせるのか、狭い沖縄に日本にある米軍基地の70%以上が集中していることをヤマトンチュの人たちはどう考えているのだろう。

 新基地建設に対してNOと言えば、ヘイトスピーチの餌食にされ、反対派のリーダーは軽微な犯罪(実際は犯罪ではないことが実証されている)で、半年以上も拘束されるのか、それがおかしいと言って報道したマスコミは本土のどれくらいなのか、「琉球新聞」、「沖縄タイムズ」は偏向報道だ、見せしめのために広告料収入を得ることが出来ないようにと言う暴力的、無責任な発言が与党議員や安倍応援団の作家から発せられてもその発言に対してマスコミは気休め程度の報道(批判)はするが、鋭いメスを振るうことはない。原発、沖縄の基地負担に対して、当事者ではなく外野席からヤジを飛ばし、犠牲となっている人々の痛み、悲しみ、怒りに対して無関心だ。

 そんな中で「共謀罪」が法務委員会で強行採決された。「安保法案反対!」「戦争法案NO」「原発NO」「安倍政権NO」「9条を守れ」というわたしたちの「声」がこの悪法案によってかき消されることがあってはならない。

 2020年までに憲法を改正(悪)したいと、与党自民党総裁として安倍晋三は「読売新聞」に持論を述べた。国会で問われれば、自民党総裁としての発言なので…と言い放つ。こんな政権に対して「司法」がもしも忖度したならば、何が起きるのか。考えるだけでもゾッとする。内心の自由がこれ以上奪われることがあってはならない。あの「国旗・国歌」法案では強制はしないと言っていた。しかし今や「内心の自由」は教育現場ではその意志を表す教師に対しては、制裁が加えられている。萎縮せざるを得ない空気が漂っている。

 気骨のジャーナリストむの たけじさんは、当時勤めていた新聞社が、「大本営発表」をただ垂れ流し、撤退を転進と言い放つ軍部に対して、誰もこの戦争は勝つことはない。と知っていたにもかかわらず、戦局を客観的に語ることなく、ただただ場の「空気」の中で新聞記事を書いている自分がいることに苦悶する。やがて敗戦を迎えると、直ちに新聞社を辞め、ミニコミ誌でジャーナリストとしての発言を死ぬまでしておられた。

 「NO!」と言える権利こそ、民主主義だ!これを破壊する兆しに対しては、勇気を出して断固「否」を言わねばならない。

 信教の自由、思想信条の自由が危うくなっている。これから「日本丸」はどこに航海するのだろう。難破し、暗礁に乗り上げる前にわたしたちはキリスト者として何をしなくてはならないのか、何が出来るのかを祈りながら行動するものでありたい