2017年 5月
              第二の「バベルの塔」を築いてはいないのか    
                        堀切教会牧師 真鍋孝幸
 わたしたちは権威に弱い。専門家が「科学的に安全だ」と言うコメントがあると、疑うことをせずに「安心」する。国立大学、有名大学の教授、著書は…というコメントがあると、なおさらであろう。

  「原発事故」当初、国立大学で教えている「原子力」の専門家たちが多く登場した。「炉心溶融、メルトダウンはしていない。原子炉はミサイルが撃ち込まれても大丈夫。だから心配はいらない。」というコメントがなされた。

 今回の「豊洲」でも、専門会委員のコメントで「科学的に…盛り土がなされてはいなくても、コンクリートで遮断されているので、有害物質は地上には上がってはこないので安全である。」安心は心の問題、科学的には証明出来ているのだから問題はない。という論理で説明が施されると、やがては「安心」してしまう。

 当初は多くの都民が築地から豊洲への移転には否定的な意見が大多数であったと記憶しているが、今では豊洲への移転への賛成が反対を上回っている。今回の都議選は豊洲問題も焦点となると言われている。

 専門家が言うのであれば、問題はないのかもしれないと思う。しかしあの原発事故で「炉心溶融」メルトダウンはない。とコメントをしていた専門家は全くマスコミの前から顔が隠れてしまった。今は、メルトダウン、メルトスルーしてしまい、原子炉から溶け落ちてデブリとなった物質をどのように処理できるのかが、焦点となっている。

 NHKが特集番組を組んでいることからもその深刻さが分かる。廃炉に向けて工程表の見直しがなされねばならないという。

 福島のこどもたちの甲状腺がんが危惧され、「直ちに健康には害はない。」と当時の官房長官が記者会見で言っていたが、体調がすぐれないと、もしかして、ということが頭をよぎる人は福島県民だけではあるまい。

 あのチェルノブイリの事故の時も当時のソビエト医学アカデミーは事故直後に「健康には害はない」と宣言した。しかし現実はそうではないことは周知の事実だ。

 権威ある人が、専門家が言えば、それを信じるわたしたちがいる。あまりにも科学神話にわたしたちは毒されているのかもしれない。理性を絶対視しているのかもしれない。

 宗教は科学と対立するものではない。進化論は間違いで、聖書がいう「創造論」の方が正しい。と言う主張には賛成できないが、だからといってすべてが科学で証明されたとおりである。とも言えないだろう。

 人工知能(AI)の発展がめまぐるしい。やがて多くの仕事はAIで解決出来る時代が近づいているという。「鉄腕アトム」のような万能ロボットが出現するのも夢ではないのかもしれない。科学技術の進歩によって、今よりもより便利になるだろう。

 しかし人間の知識は完全ではない。旧約に登場するヨブはそのことを知らされた。アダムとエバは蛇の誘惑によって、神との約束を破り、善悪を知る木から実を取って食べた。神のようになろうとした人間は、天にまでとどく塔「バベルの塔」(創世記11章1~9節)を建てた。その結果、コミュニケーション不全に陥った。すなわち言語は乱れたのである。

 「科学万能神話」と言う新しい「バベルの塔」を建ててはいないだろうか。科学に対してもさまざまな諸説があることを知り、権威者のことばを鵜呑みとせず、自分で判断する物差しが必要となっている。

 そのことを昨今の「科学的には…」というコメントに対して、自分の頭で考え、立ち止まって考える必要があるのかも知れない。人間は神の前には「被造物」に過ぎないのだから。