今回の選挙は…何色か?
                                           
                                  堀切教会牧師 真鍋孝幸
 私のジャケット、スーツには緑色の服はない。紺かグレイ、そして焦げ茶、オレンジである。今回の選挙は何色が勝利したのだろう。与党の色は何色なのだろう。野党の色は何色なのだろう。投票率が50%強の選挙は終わった。

 不在者投票所が長蛇の列で、今回はさぞかし投票率は高いのだろうと思っていたが、台風で大雨が来るとの予想もあり、2014年の52%を僅かに超えたに過ぎなかった。

 ある人が書いたものが目にとまった。それは無視と重視という図式で、現政権の在り方をなぞらえている。すなわち、無視とは、「平和」、「人権」、「社会保障」であり、重視とは対米重視である。

 ショッキングな題名の本が平積みされていた。早速に「日米指揮権密約」研究を購入した。著者は何度も何度も自腹でアメリカに行き、アメリカで密約解除された公文書を丹念に調べ上げ、対米重視の現状を書いていた。元来は違った概念であったそうだが、今はリベラルとは個人の尊厳を意味し、それに対して、保守とは国家主義による国政支配を許すことであり、別の言葉に置き換えれば、反米か親米かということになる。そしてそれは大きな政府か、小さな政府かということにもなる。

 18歳で選挙権を獲得した投票者の約半数は現政権を支持した。けれども残りの約半数は「棄権」した。これが今の日本の現状である。「自己責任」という言葉は好きではないが、「こんなはずではなかった…」と思ったとしても後のまつり。棄権という行動がもたらした結果ということ、ブーメランであると言うことに気づかねばならない。

 還暦を迎えた小生は棄権したことはない。たとえ支持政党がなくても白紙でも選挙に行こうと思い、投票所で投票用紙をもらい、そこに記されている政党、候補者名を見て判断してきた。誰を選ぶのか、誰を選ばないのか、その判断は私たちの手中にあるからだ。

 聖書に登場する「預言者」は神の正義と公平を旨として、たとえ一人になっても人々に語ることをやめない。「空気」を読まないのである。その結果、厳しい現実にさらされる。

 「空気」を読む。周りを気にする。これが私たちであるが、「空気」を読まない勇気を語る森 達也氏のように「あえて空気を読まない」者として歩みたいと願っている。

 そういえば茶色はナチスを象徴する色である。どれもこれも茶色一色に染まる社会はまっぴらごめんだ!けれども自分の好みの色の中には茶色がある。

 ある色しか使われないとすると、どんなに窮屈な社会なのだろう。想像したくもない。

 「平和」、「人権」、「社会保障」が無視される社会は住みづらい。誰もが大切にされ、よろこんで世話になれる社会でないと、希望はない。希望は未来に続く道である。誰もが安心して「生きてよい社会」である。団塊の世代が後期高齢者になる2025年以後、社会問題となることだろう。

 だからこそ、一人になっても行動する勇気が与えられればと願っている。その道がどんなに長いトンネルで、かすかであっても光は見えると信じている。一人では何も出来なくても「みんなが集まれば何か出来る」という賛美歌の歌詞に励まされ、今回の選挙結果がバラ色でないとしても、諦める訳にはいかない。この国の将来ビジョンは私たち有権者にあるのだから。(使徒言行録2章17節)