オバマからトランプにバトンタッチされるアメリカについて思う


                    
                    堀切教会牧師 真鍋孝幸
 岩波の世界の1月号は「『トランプのアメリカ』と向きあう」であった。その中で『反知性主義』という本でアメリカのキリスト教の歴史を語っている森本あんり氏が「ドナルド・トランプの神学 プロテスタント倫理から富の福音へ」という文章を書いていた。


 トランプが通っていた教会のノーマン・ヴィンセント・ピール牧師が書いた『積極的考え方』は、多くの読者を得、アメリカで500万部、翻訳され世界各国で2000万部を売り上げ、日本でも多くの読者を得ているという。そこで語られているのが、聖書を通しての「自己啓発」で、彼の説教を完全に自家薬籠中(やくろうちゅう)のものにしたのがトランプであるという。60年代から彼はこの教会に出席し、彼の説教を徹底的に受け入れ、その結果、「トランプタワー」が完成する。

 しかし彼はピールの教えをすべて受け入れたのではなく、「謙遜であること」「怒りに身を任せないこと」「口を慎むこと」「人を憎まないこと」などの教えや、女性関係などはトランプは受け入れなかった。

 M・ウェーバーが著した『プロテスタントティズムの倫理と資本主義の精神』によって繁栄したアメリカは「機会の平等」さえ保障されれば、あとは自分の力次第で、という考え方で、いわゆる「成り上がり」をアメリカ社会は歓迎する。そして「勝ち組」として評価されてきたのがトランプ氏である。しかし現実のアメリカの社会は99%の「貧者」と1%の「富者」の国と言われるように格差は拡がり続け、膨張し続けている。

 「アメリカンドリーム」の成功者たちは、何を考えているのだろうか、彼の言動とそして「自国第一主義」の考え方は、福音を生きているのだろうか。ウェーバーによれば、彼らの価値(信仰)観によって、遊楽や放蕩に費やされることなく、禁欲的に生産活動へと再投資され、ますます資本が増大して富が蓄積する。そしてその果実は、貧しい人たちを助けるために用いられる。労働とは働くこと、すなわち「はたを楽にする」ことであるという考えがあるからこそ、そこから「共助」が生まれ、社会は健全化していく。しかし現実の社会はそうではない。富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる。

 トリクルダウンの論理では富はやがて貧しい人たちにもこぼれ落ちてくるとされているが、てっぺんにあるシャンパングラスは、他のグラスの10倍で、そのボトルから注がれたシャンパングラスの8割で終わってしまい、シャンパンタワーの次のグラスには一滴のシャンパンも注がれることはない。 これがアメリカの現実であり、日本の現実でもある。 森本あんり氏は最後にこのように書いていた。「ちなみにトランプ氏はこの教会には通っていない。教会の関係者の方でも、一連のトランプ騒ぎを歓迎しておらず、2015年にトランプ氏がこの教会の正規メンバーだったことはないという声明を発表した。その理由は、ノーマン・ヴィセント・ピールの銅像が建てられているが、その彼と教会を囲む柵全体に、同性愛者を歓迎するレインボーカラーのリボンが満艦飾り付けられていたからである。人々は黙らない。」「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう。」と言う聖書の言葉(ルカ福音書19章40節)で結ばれている。

 あと二週間足らずでオバマからトランプに政権がバトンタッチされ、「分断したアメリカ」はこれから先どこにゆくのか、力による支配を人々が望む行き先に何があるのだろう、歴史を学べば、その事がわかる。日本はどのようにして彼を理解し、パートナーとして歩むのか? 未知数である。