2016年7月付録                      沖縄レポート        

                       堀切教会牧師 真鍋孝幸
 7月11日から13日まで沖縄で「部落解放センター」運営委員会と研修が行われた。第1日目の運営委員会は首里教会で、開会礼拝は今回の総会で最年長で議長に選出された平良 修牧師で、解放センターの趣旨がしっかりと捉えられた礼拝メッセージを聞くことが出来た。その後、3時間の運営委員会の第1日の予定を終え、普天間基地前ゲートで「ゴスペルを歌う会」と合流した。そこに先ほどメッセージをされた平良 修牧師も合流し、「これから沖縄最大の基地嘉手納へ向かう。国会前でも、どこでも基地反対の意志を表し、このような集会を行い、日米安保打破を訴えてほしい。」と言われ、わたしはこれから嘉手納に合流して抗議集会に出席する。と言われたので、急遽検討を行ったが、明日は高江に行く。そこで抗議行動に参加するのであれば、「今の情勢を考えると短い時間でハイさようなら!と言うわけにはいかない。座り込み抗議をするのだから…」という意見で、残されたすべての議題を今夜中に審議することとなり、夕食後3時間近く運営委員会が11時過ぎまで行われた。翌日は午前6時に宿泊先の宜野湾セミナーハウスを出発して、高江に向かった。そこにはアメリカの北部訓練所(ジャングル)がある。自然豊かなヤンバルクイナなどが棲息している場所でもある。アメリカはそこにオスプレイなどが離発着出来るヘリパット6基(着陸帯)を作ろうとしている。「普天間返還」がいかに基地軽減ではなく、拡大であり、ましてや危険除去は名目に過ぎないことが高江と辺野古建設反対派の人たちの話を聞いて実感した。屈強な機動隊にも屈せずそこで何回も、何回も、建設資材を運ぶ運搬車の基地搬入を阻止する行動が挫かれることなく続けられている。

 今回選挙で大勝利した伊波洋一さんも激励に駆けつけたのだ。炎天下熱中症に気づかいながら、わたしの仲間は5時まで、わたしは12時までそこで資材の搬入を阻止する運動に連帯した。そして翌日は辺野古での海上抗議行動に仲間は参加し、わたしたちは台風で撤去された「カヌー隊」のテントはりを手伝い、その後反対運動をしている方に辺野古で行われている反対抗議運動の歴史を伺い、辺野古ゲート前で行われている抗議運動を見て、沖縄を後にした。

 沖縄の歴史は「琉球処分」以来常に踏みつけられた歴史である。明治政府は琉球国を(国内)併合し、沖縄とした。その後、琉球の歴史を無視するような暴挙を数々行い、ことばを奪い、皇民化教育を徹底させ、戦中は本土の捨て石として少年も少女も戦力とし、多くの人たちは「集団強制死」を強いられた。サンフランシスコ講和条約後も米軍の統治下におかれ、復帰後も狭い沖縄に在日米軍の約74%が集中し、日米地位協定の中で、辛酸をなめ続けている。米軍による犯罪はいっこうになくなってはいない。現地の新聞を読むと、高江での抗議行動、国と県の辺野古基地建設を巡る行動などが克明に書かれている。自宅に着いてから、東京の新聞を読むとそのような記事は全く見当たらない。沖縄で起きていることは共有されていない。そのことを実感した。沖縄の人たちは、「琉球処分」(「併合」)以来、二等国民というレッテルを貼られている。文化と食べ物は観光の道具として宣伝されているが、その歴史もアイデンティティも語られてはいない。これは沖縄に対するヤマトの差別だ。