2016年 8月    
   讃美歌21・471番を歌いつつ、行動しよう!
                                              堀切教会牧師 真鍋孝幸
 差別された者の痛み、踏まれた痛みは踏まれた者にしかわからない。「辺野古」や「高江」で反対抗議している住民の人たちの怒り、悲しみ、痛みは私たちウチナーンチュには到底理解できない。ましてや戦争を知らないわたしにとってはこのことは紛れもない事実だ。だからこそ現場の人たちの声、当事者の声を聞くことが大切である。

 わたしは教団の部落解放センター運営委員会が沖縄で行われたことで、その人たちの抗議を目の当たりにした。徹底的な非暴力で「これ以上基地を沖縄には作らせない。」「基地は戦争をするためにあるから反対だ。」という座り込む人たちの意志の強さを実感した。

 7月11~13日沖縄で教団の部落解放センターの運営委員会はただ会議だけで終わるのではなく、今、沖縄のおかれている現実を知り、「辺野古基地」反対運動をしている人たちと出会い、連帯することも目的として行われた。

 「高江」に政府が着々と住民の声を無視して行われているヘリパット建設反対をしている人たちとも連帯すると言うことで、当初の予定では第1日目は運営委員会後、普天間ゲート前でのゴスペルを歌う会に合流、その後夕食をとり運営委員会を再開する。そして翌日午前中「高江」での抗議行動に合流し、午後は運営委員会を行う。3日目は「辺野古」の海上反対運動をしている人たちの声を聞き、連帯することとなっていたが、「高江」でヘリパット建設に向けての新たな動きがあると言う情報が普天間でゴスペルを歌う会でもたらされた「高江」での抗議行動に合流するのであれば午前中で「私たちは運営委員会を行いますので、これで失礼します。と言うわけには行かない。」と言う意見がメンバーから出され、急遽そのことが話し合われた。運営委員会の審議はすべて今日中に済ませるように工夫する事となり、夕食後すべての審議を終え、翌日宿泊先を午前6時に出発し、「高江」に高速で向かった。8時30分頃「高江」に着くと、反対運動のメンバーが「仲間が機動隊に拘束された。40分後には解放された。今、緊張状態が続いているのでよろしく」と言う言葉を受けて総勢19名で座り込みを行った。

 トラックが高江にある北部訓練所のゲートに入ろうとすると、座り込みでその入り口を封鎖する。するとそこにいるメンバーの数倍の屈強な機動隊がその人たちを排除する。その繰り返しが行われる。アッパーパンチとはいかないが、確実に相手にボディーブローとなっていると思い、住民はこの闘いを続けている。

 参議院選で民意は明らかになった。与党の議員でしかも沖縄担当の現職大臣が10万票の大差で敗れたのにその民意を無視するかたちで機動隊は座り込む人たちを排除する。これが民主主義と言えるのか、そこにいたすべての住民・支援者は感じたはずだ。翌日は「辺野古」の海上抗議行動に参加した。わたしは体力の都合で高江の抗議行動は午前中、「辺野古」の海上抗議行動には参加する事は出来なかった。しかい、そこで活動しているメンバーの方々の生の声を聞くことが出来たことは本当によかった。

 基地問題は沖縄においては「構造的差別」である。沖縄は明治政府によって「琉球処分」(琉球国内併合)後、常に差別され続けている。沖縄の新聞が偏向している。わけのわからない沖縄に対する無知な発言をする作家、政治家に対して「あなたは踏まれた事があるのか、沖縄(琉球)の痛みを知っているのか。」と問いたい。沖縄の痛みと怒りの現れの声として表された選挙結果をどのように評価するのか。

 人の痛みを自分の痛みのように感じ、行動したイエスに倣う者(マルコ6章33節「飼い主のいない羊たちのようなありさまにはらわたをつき動かされた」本田哲郎訳)としてどのような行動をわたしの体力で出来るのか、『釜ヶ﨑と福音』の著者本田哲郎神父は言う。イエスは「サービスする側にではなく、サービスを受けねばならない側に、主はおられる」と、この本田哲郎神父の言葉を受けとめつつ、私は沖縄教区議長平良 修さんの言葉「ここで反対する運動に連帯するのではなく、自分の地域で、国会前で行動してほしい。」この言葉を真摯に受けとめ、讃美歌21・471番「勝利を望み」の歌詞の折り返しの言葉、「ああ、その日を信じて/われらは進もう。」そしてその日が来るまで、私たちの良心を示した行動を山が動くまでどんなことがあっても地道に続けねばならない。