2016年7月           私たちの意志を表したい   
              堀切教会牧師  真鍋孝幸
 隅田川の花火が中止になるかも?警備などの諸般の事情がその理由であるという。なぜ、中止になるのかと言えばそれは政治と金の公私混同。海外から「セコイ」と揶揄され、辞任に追い込まれた知事の知事選が雨天の場合は31日に順延となるのがその理由である。実行委員会にとっては苦渋の選択だったのだろう。今度こそ任期を満了できる知事を選ばねばならない。そうしないと選挙の度に少なくとも50億円の税金が拠出されるのだから。

 今回の「集中審議」で与党の議員までもが世間の「空気」を読んで知事に引導を渡したわけだが、その都議団のリオオリンピックの視察(視察するのは都だけではなく、開催に関係する区の議員たちも一人200万円の予算が計上されている。) のために少なくとも6千四百万円。もしかすると一億円を上回る費用がかかるという。知事に対して「辞任しなさい」と厳しく迫っていた議員たちに、あなたは「無駄遣いをしていないと胸を張れるのか」と問いたい気分になる。

 ある野党の政治家が辞任した知事を推薦した与党の「製造責任はないのか」と問うている。つけを払わされるのは都民である。たまったものではない。

都知事選が終われば直ぐに参議院選挙となる。今日テレビを見ていたら「舌戦の火ぶたが切られた」と各党党首の第一声を報道していた。

 今回から18歳から選挙権が与えられる。争点は何なのか、はっきりと世間の「空気」に流されることなく、自分で判断するために岩波新書の『18歳からの民主主義』を読んでから、私も有権者としての責任を果たしたい。

 イギリスは果たしてEUを離脱するのか、アメリカの大統領はもしかすると有力候補のクリントンではなく、当初泡沫候補とされていたトランプがなるかもしれない。今までと違う「空気」が世界を覆っているのだろうか。経済が逼迫する時、人は先ず、自分の幸福を願うのはあたりまえだというかもしれない。

 聖書の中にこんな物語がある。(マルコ福音書10章17節~22節)ある優等生の青年がイエスに向かって「善い先生、永遠の命を受け継ぐためには、何をすればよいでしょうか。」イエスは彼を受けとめ、次のようにいわれる。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。」律法に忠実に生きていた青年である。まさに優等生そのものだ。その青年に向かってイエスは彼を見つめ、慈しんでそのように言われた。けれどもたくさんの資産を持っていた彼にはそれはあまりにも厳しい、酷な決断に他ならなかった。ある訳では「にぎっている物を貧しい人々と交換しなさい。」と意訳している。

 聖書の価値観で建国したはずのアメリカがなぜ、1%の富者と99%の貧者の国と言われるのか、「自分の身は自分で守らねばならない。」の原則で銃規制はいっこうに進まない。十分な富の配分も出来ず、金の切れ目がいのちの切れ目となるような医療制度・社会保障。広島で演説したオバマ大統領は「核廃絶」を夢としてしか語れなかった。教育の格差、経済の格差、そしてその格差ゆえに学びたい貧しい若者たちは軍隊に入隊する。「殺してはならない。」と言う教会は聖書のメッセージを語っているのに「正戦」という名目で戦争を正当化する。(聖書のメッセージに生きている教会は少ない。)そのようなアメリカになることが、「戦後レジームからの脱却」と言えるのか、憲法を「壊憲」して「普通の国」に日本もなろうとしている。

 今回の参議院選で与党の議席が増えるのか、野党の統一候補が当選して野党の議席が増えるのか、その鍵を私たち有権者が握っている。「民主主義とはなんだ!…これだ!」と言える政党は何処なのか、しっかりと見分けてもしかすると隅田川の花火が中止になるかもしれないその日に私たちの意志を表したい。