2016年2月
          
「助けて!」と言える社会こそが、平和の礎                              

               堀切教会牧師 真鍋孝幸
 先日、奥田知志氏の講演を聞く機会が与えられた。実践を通して語られた彼の話には力があり、なるほどと頷くことが出来た。

 今の社会は「助けて!」と言えない社会であると奥田氏は言う。「一億総活躍社会」新三本の矢と為政者が抗弁しようとも、多くの人は景気が良くなったと実感することは出来ていないだろう。賞味期限が切れた廃棄処分されるはずの食べ物が横流しされ、スーパーや弁当の総菜として売られたと言うことが新聞、テレビで報道された。またスキーバス事故で15名(大学生13、乗務員2名)が犠牲になった。娘を失った父親が沈痛な面持ちで絞り出すように言われた。「憤りを禁じ得ないが、いまの日本が抱える偏った労働力不足や過度の利益追求、安全の軽視など社会問題で生じたひずみによって発生したように思えてなりません」。

 デフレ脱却異次元の金融緩和と言って、日銀が国債326兆円以上(2015年12月10日現在)を抱え込んでいるのに、株価の乱高下にマスコミも投資家も一喜一憂している。『日本病』と言う本が岩波新書から最近出された。著者は経済学者の金子 勝氏と被災地福島に赴き被爆者の支援と調査をボランティアとして行っている先端医療(アイソトープ総合センター長、兼東京大学先端科学技術研究センター教授)を行っている医学者の児玉龍彦氏である。

 社会科学と自然科学を専攻する畑違いと思われる二人が、今の日本社会を冷静に分析し、その治療法を提示している。

 非正規雇用で働く人が4割、子どもの6人に一人がそしてシングルマザーの約50%が貧困に喘いでいるのに、その人たちを見て見ぬふりしている社会は健全な社会とは呼べない。

 先に紹介した奥田氏は今までの活動を踏まえて「伴走型支援」を提唱する。一人のケースを通して、その人の問題をトータルに捉え、必要な支援を行うことをこのように言っている。縦割り行政では見えないものがある。

 賀川豊彦は「子どもを見ればその親の状態がわかる。親を見ればその社会がわかる」と言う趣旨のことを言ったと言われているが、まさに「伴走(歩)型」社会は、賀川のまなざしと同じまなざしで今の現実を見ている。

 奥田氏はその講演でも著書でも「ホームレス」と「ハウスレス」と言う言葉で、野宿を強いられている人は、ハウスレスであると同時にホームレスであると言う。職を失い、家を失うと言うことは関係を失うことに繋がる。すなわち、スイートホームを失うのである。「下流老人」という言葉を通して、高齢者の貧困を表した藤田孝典氏も奥田氏も同様のことを言っている。わたしには関係ない、と言えないと藤田氏はケースを通して語る。年収が高く、安定した生活をしていた人でも親の介護のために離職すれば、数年の内に貧困に陥るという。

「一億総活躍社会」、「介護離職ゼロ」と為政者が言っても、現実は「そうは問屋が卸さない。」いったん離職を余儀なくされれば、たちまち奈落の底に突き落とされる。その時、「助けて!」と叫んでも誰も手を貸さない社会が目の前に迫っていると、強迫観念に怯えているのはわたしだけではあるまい。

 助け合い、支え合う社会はすばらしい。そのような社会をノルウェーの平和学者ヨハン・ガルトウングは戦争のない状態を「消極的平和」と言い、貧困や抑圧、差別という構造的暴力がない状態を「積極的平和」と言っている。

 日本の指導者の「積極的平和主義」とは似て非なることをわたしたちは知らねばならない。賞味期限が切れていても臭わなければ食べる。消費者(私たち)は我先に安いものに群がる。そのような人たちがいると言うことを忘れてはならない。

 聖書が語る真の平和を祈り、実現するものとして聖書に聴き、聖書に生きるものでありたい。 (イザヤ書2章4節、11章4~9節 マタイによる福音書5章9節)