2016年11月
              
「風に吹かれておもいのままに」

                   堀切教会牧師 真鍋孝幸 
 大隅良典さんがノーベル医学・生理学賞(オートファジーの研究)から10日後、ボブ・ディランの文学賞が発表された。シンガーソングライターのボブ・ディランの受賞理由を「偉大な米国の歌の伝統に新たな詩的表現を作り出した」とマスコミは報道した。

 今年こそ村上春樹氏が受賞すると思っていたハルキストは来年に期待することになった。

 詩は世界を短い言葉で表現する。詩心のない私には詩の意味が十分にはわからない。今回の受賞でボブ・ディランがどれほど偉大なアーチストであるのかを様々な報道で知ることが出来た。

 彼の代表作は「風に吹かれて」である。その歌詞(音楽)は公民権・反戦運動を支えた。米国人の文学賞の受賞は黒人作家のトニー・モリソン以来の快挙であるとのこと。

 聖書の中にも詩がある。詩篇には様々な人たちのあからさまな偽りのない声が記されている。また預言者が書いた預言書にも詩や散文で綴られているものがある。

 預言者とは神の言葉を預かって人々に伝える者を言う。決して「空気」に流されることなく、人々に語る。それらの言葉は時には受け入れられることなく、ある時には拒否され、迫害弾圧され、命までも奪われるような状況の中にあっても神の言葉を語り伝える。

 預言者は神の正義と公平を土台にして語る。ある人は預言者とは社会分析家であると言っている。今、この社会に何が起きているのか、何が起ころうとしているのかを徹底的に見つめ言葉を紡ぎ出す。

 聖書に登場する預言者が今生きていたら、どのような言葉を語るのであろうか。人々が受け入れられる言葉だけではなく、人々が嫌悪し、忌避する言葉を語ることだろう。

 「辺野古」そして「高江」で何が起きているのか、徹底的な非暴力で闘っている人たちに対して警備に当たっていた大阪府警の機動隊員が「この土人が!」という差別用語をあびせた。その報道を受けて警察庁は長官が会見で「遺憾」の意を表したが、大阪府の松井一郎知事は暴言をはいた警官を擁護するような発言をした。「信じられない」と思ったのは私だけではあるまい。

 預言者として生きる人たちは人の痛みに対して敏感であることが要求される。為政者が人々を抑圧する時、命を賭して抑圧されている人たちの視点で神の言葉を語るのである。

 ボブ・ディランの「風に吹かれて」の歌詞が新聞で抜粋が紹介されていた。

 どれだけ道を歩めばいいのか?一人前の男と呼ばれるまでに/いくつかの海を白い鳩は渡らなければならないのか?砂浜でやすらぐまでに/何回砲弾が飛ばねばならないのか?
武器が永久に禁じられるまでに/その答えは、友よ、風に舞っている。答えは風に舞っている。(訳湯浅 学)

 「風」は聖書の中では大きな意味を持っている。旧約聖書の風は、息を意味し、見えないけれども現実に力を示す神の働きを表す。新約聖書では、「激しい風が吹いてくるような音が聞こえて」聖霊降臨が起き、教会が生まれる。

 イエスとニコデモとの会話の中でイエスは「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこに行くのかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」(ヨハネによる福音書3章8節)

 75歳になった彼は果たして今のこの世界をこの時代をどのように受けとめているのだろう。未だに戦禍が絶えないこの世界を、「格差」が拡がり続け1%の富者と99%の貧者の自分の国を…「偉大な詩人」ボブ・ディランが授賞式に現れたならば、どんな詩と音楽を奏でてくれるのだろう。今からそれが楽しみだ。