2019年 2月

                  和解の旅はいつかは終わる 

                      堀切教会牧師 真鍋孝幸
 今年の正月、義母の祝いをするために彼女の実家にその子どもたちとそれぞれの家族一同が会した(都合で集まれなかった人もいたが)。「家父長制」の名残がある彼女の故郷ではそれほど珍しいことではないらしい。帰途につく前に途中三女が住んでいる鹿児島に立ち寄った。昨年のNHK大河ドラマ「西郷どん」の舞台である。

 内村鑑三はその著「代表的日本人」で稀有な幕末のリーダー「西郷隆盛」を高く評価している。彼は「征韓論者」として知られている。彼の意図がどこにあったのか、その論争で西郷の主張が聞き入れられたならば、後の朝鮮(韓国)併合というような「植民地支配」はなかったのだろうか、それはわからない。

 日本は隣国の朝鮮を支配下に収めることが、西洋列強から国を守るために重要になると考えた福沢諭吉の「脱亜論」の主張によって、併合された朝鮮半島は併合20年後「皇民化政策」、「創氏改名」によって、民族のアイデンティティを奪われ、国語を奪われる。

 これらの一連の歴史、すなわち植民地支配という負の歴史を率直に受け止め、抑圧された視点でものを見るならば、今日本と韓国で「徴用工」問題も歩み寄れる手段があるのだろう。

 今起きている「徴用工」問題の前に大きく国内で議論されたのが「慰安婦」の問題であった。93年に当時の内閣官房長官河野洋平はこの問題で日本政府として正式に謝罪する。

 「すでに日韓基本条約によって解決済み」という立場から、補償に変わる措置として民間団体「アジア女性基金」を設立するが、そのような考え方は韓国世論は「日本はきちんと法的責任を認めて賠償すべきなのに、民間基金から償い金というかたちでお茶を濁そうとしている」という声によって、未だ「慰安婦」問題も解決済みというのがほど遠いのが現状である。

 「徴用工」「慰安婦」問題は国内では解決済み、しかし韓国では未だというギャップを埋めることはできるのだろうか。

 そのような中で、わたしたちの教会が繋がりのある「かつしか人権ネット」主催の95歳で亡くなられた「宋 神道(ソン シンド)さんを偲ぶ」(写真展・講演会・映画会)が教会で14~19日まで移転した堀切教会を会場にして行われた。主催者の思いが受け止められた結果だろう。予想よりも多くの人が集まった。

 宋 神道さんは、文字通り従軍して「軍隊慰安婦」として国家レイプの犠牲者として7年間働く。彼女はそのような苛烈な運命を生き抜き、戦後は「在日」として偏見と差別の中で生き抜くことになる。今回の会でその彼女の人生が語られた。

 ドキュメンタリー映画「オレの心は負けていない」には、最高裁まで「国家賠償」を求めた裁判が描かれている。彼女の思いは「解決済み」という日本政府の立場を支持した判決によって踏みにじられる。けれども、彼女は裁判長に向かって、「裁判長、『慰安婦』問題を子どもたちの時代にまで持ち越さないように、勇気を持って、きちんとした解決になるような判決を出してください。裁判長が政府にちゃんと言ってくれなけば、本当に頼るところがないんです。私一人のためではなく、今でも隠れている他の『慰安婦』の心の傷を解く、血の通った判決を出して下さい。よろしく頼みます。」と彼女は、語っている。

 韓国の裁判所が自分たちの声を聞いてくれた。これが韓国にいるかつての「徴用工」の人たちの率直な思いだろう。「いつまで…謝罪すればいいのか。」という主張は、負の遺産を後の世まで残すことになりかねない。聖書は赦しを語る。神はわたしたちの罪をゆるされた。それによってわたしたちは今、ここにいると、しかし、当事者がいる限り、「和解」の旅は終わらない。

 相手がゆるしてくれるまで、相手にその誠意が届くまで、論理的に解決したとしても「解決済み」とはならない。これが踏まれた側の論理である。

 踏んだ側には痛みはない。しかし踏まれた側の痛みは心の「傷」として残り続ける。未来志向というならば、そのような視点が、「辺野古」でも通じる。

 少しでも、自分の痛みのように他者の痛みを感じる。そのような感性が与えられるとき、和解の旅はいつか終わりを遂げるであろう。しかし、当事者がゆるすまで、その旅は終わることはない。そのことをこの会を通してあらためて感じた。