何をニュースとして聞けば良いのか 
                  ー翁長雄志沖縄県知事の訃報を聞いてー  
                                 堀切教会牧師 真鍋孝幸
 ワイドショ-は、連日辞任表明した前日本ボクシング連盟の山根 明会長の「一挙手一投足」を伝えているが、9日に67歳で急逝した翁長雄志沖縄県知事のことはほとんど取り上げられていない。週刊誌的な色彩がワイドショ-であるといってしまえばそれまでだが、別の圧力が働いているのではないのか、と勘ぐってしまうのは私だけなのだろうか。

 ジュゴンが生息している「辺野古の自然」が破壊されようとしているというのに、普天間の危険を回避するためには、「辺野古」に基地が必要だという政府の論理(アメリカの意向)で住民・支持者の「声」を無視して基地建設が推し進められようとしている最中に翁長雄志知事は膵臓ガンでこの世の旅を終えた。

 保守派の政治家として中心的存在の県議会議員が沖縄のこころを持って立ち上がり、「オール沖縄」を標榜し、辺野古基地移設賛成派に10万票の大差で知事選を戦い、当選後は文字通り命を賭して沖縄の将来を憂い「これ以上基地をつくらせない。」という沖縄のアイデンティティは果たしてどうなるのか、イデオロギーという壁を乗り越えた「オール沖縄」彼の強い意思を誰が受け継ぐのだろうか。膵臓ガンで手術を余儀なくされた後も精力的に知事として働き、7月には埋め立て承認撤回を表明して、「沖縄の怒りと哀しみ」を本土(ヤマトンチュ)に訴えたが、政府は粛々と基地建設を進めると強弁してはばからず、裁判所までが政府の代弁者(?)と思える中で「No!」という沖縄のこころを受け継ぐリーダーがいるのだろうか…。

 この報道を聞く中で、一人の人物の名が思い起こされた。その名は瀬長亀治郎。アメリカは「要注意人物」として警戒し、手段を選ばずに彼の政治活動妨害をした。けれども彼は屈しなかった。あらためて沖縄で購入した教養講座『琉球・沖縄史』(新城俊昭著)に書かれている彼の足跡を読み直した。

 貧しい人たちを助けたいと願い、彼は医師を志すが、家庭の事情で沖縄を離れ、東京の中学校に4年生で編入する。そこで社会主義思想に出会い、傾注した結果、退学を余儀なくされるが、七高(鹿児島大学)に合格し、勉学に励むが社会運動を理由に逮捕され、退学を余儀なくされる。3年間の獄中生活を経て、結婚し、新聞記者となるが徴兵され中国を経て、沖縄へそこで4人に一人が亡くなる沖縄戦を体験「もう二度とこのような残虐な戦争を起こしてはいけない、すべての人が平和に暮らせる社会をつくるためにがんばろう」と決意し、新聞社の社長をしながら政治活動をはじめ、「琉球政府」の立法院議員、那覇市長である反米の彼に対して補助金打ち切り、銀行にも圧力をかけ融資をさせないという強硬手段に出ると、支持者をはじめ那覇市民は納税を率先して行い、彼を応援する。その結果、那覇市の納税率は97%に達する。業を煮やしたアメリカは彼の過去の政治・信条が市長としてはふさわしくないという法律で彼を市長の座から引きずり降ろす。わずか11ヶ月の市長としての働きであったが、米軍への抵抗のシンボルとして住民の先頭に立ち、平和憲法を持った日本への復帰を求めて闘い、復帰後は7期19年間、衆議院議員として沖縄のために力を尽くす。

 この「不屈」の政治家瀬長亀治郎、翁長雄志知事の「沖縄のこころ」の後を継ぐならば、将来「良ければ国外、最低でも県外」という沖縄の思いは実現するのではなかろうか。

 パワハラ報道で連日終始する中で、政府こそが沖縄に対して「構造的差別」というハラスメントを行っているのではないのか、と訝うのはわたしだけではあるまい。

 あの抑圧され、虐げられているサマリア人のような行動が取れるのか、その鍵は「当事者性」であるということを翁長雄志知事の急逝の知らせを通してあらためて考えた。そしてあの抑圧され、差別されたかつての同胞サマリア人だからこそ、放ってはおけなかった。なぜならば、そこに傷ついた人は「わたしである」という当事者性があるからこそ、他者のために働いたというルカが伝えるイエスのメッセージ(ルカ10・37)を心にとめたいと考えた。
*そこで、イエスは言われた。「行って、あなたも同じようにしなさい。」(ルカ10・37)