2018年11月
                 確かな信仰、寛容な心を身につけよう。
                                       
                                   堀切教会 牧師真鍋孝幸
 アメリカの中間選挙が終わり、上院は「共和党」下院は「民主党」がそれぞれ過半数の議席を確保した。与党共和党・野党民主党という捻れの中で、今後2年間トランプ大統領は政権運営をすることになる。

 今回の選挙でもキリスト教右派と呼ばれる「福音派」に属するクリスチャンが共和党を後押ししたと報道されている。NHK、民放を問わずテレビは福音派について言及していた。科学と宗教の対立、いわゆる性的マイノリティーすなわちLGBTの人たちに対する無理解、人工中絶反対、そして「創造論」と「進化論」の対立。聖書を一字一句誤りがないという確信。これがいわゆる「原理主義」「根本主義」の人たちの価値観である。

 迫害・弾圧下の中では自分の信仰(主張)は間違ってはいないというのは強みである。ヨハネ黙示録(ドミティアヌス帝)が書かれた時代はローマ皇帝崇拝が義務づけられており、それを拒否した人たちは殉教した。

 日本ではキリシタン弾圧の時代、踏み絵を踏まずに処罰され、改宗しない者たちは殉教を余儀なくされた。その後、明治になり「禁教令」が解かれるもカトリック教会に帰属せず、自分たちの信仰のかたちを先祖伝来伝承し、守り通しているのが「隠れキリシタン」の人たちだ。

  「国体」に反しない限り容認するという「大日本帝国憲法」の時代は天皇は「現人神」で、「神道は宗教に非ず」とし、国策によって作られた日本基督教団は「日本基督教団より大東亜共栄圏に在る基督教徒に送る書簡」で、植民地であった朝鮮半島をはじめとするクリスチャンに対して神社参拝を強要した。そのような嵐の時代では妥協を許さない信仰がなければ、純粋な信仰に生きることは出来ないだろう。

 戦前の日本では事実、聖書を誤りのなき「神の言葉」としたクリスチャンの人たちは官憲によって捕らえられ、命すら奪われた牧師たちがいる。

 戦前の国家は、「国体」が損なわれる思想にはすべて暴力も厭わないかたちで徹底的に弾圧した。「大逆事件」後にうまれた後の「治安維持法」がそのことを物語っている。迫害・弾圧下の中では保守的信仰者は妥協をしない故に「殉教」した。そしてそのようなキリスト者を当時の教団の指導者たちは組織防衛、維持のため、やむなく結果的にその群れのキリスト者たちを見捨てた歴史があることを忘れてはならない。

 現在は福音派に属する牧師たちが「共謀罪」反対、改憲反対、ヘイトスピーチ、「在日」沖縄の基地問題などの社会問題に対して信仰者の立場から積極的に発言している『剣を鋤きに、槍を鎌とする』(カイロスブック いのちのことば社)には、福音派を牽引する一人の牧師の発言が纏められていた。

 アメリカの福音派いわゆる原理主義、根本主義者は「逐語霊感説」の立場で聖書を読む。その結果、自分たちの価値観にあわない人たちが排除されて当然.。壁を作り、移民は入国させないという人たちが「自国第一主義」を唱え、排除、分断していくことは当然の帰結と言える。自分たちの価値観を脅かすような事には断固拒否し、自分たちの価値観を絶対と信じ、その他の情報も「フェイクニュース」とする。

 それはネット右翼の人たちと呼ばれる人たちの精神構造でもある。リベラル、寛容という価値観が失われ、一方向に突進することでファシズムがうまれる。

 今回の「中間選挙」ではその立場に立つ人たちを支持する人たちに対して「NO!」という意志を選挙で言い表した。

 世界中が「自国一国主義」の立場を取るならば、世界は破滅へと向かうのか、それとも繁栄へと向かうのか、わたしたちは「歴史」を通してそのことを学ばねばならない。

 いつの日か、「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする」(イザヤ2章4節)「狼は子羊と共に宿り/豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち/小さい子どもがそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ/その子らは共に伏し/獅子もひとしく干し草を食らう。…」(イザヤ書6章6~7節)武器が農具に変えられる。弱い者と強い者が共生するシャロームの道を目指して、迫害に打ち勝つ信仰、寛容な心を身につける者として、それぞれが「霊性」を高め合い、主の備えられた道を歩みたい。